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C i n e m a    T h e r a p y

​9.人と通じ合えないな、と思うあなたに

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『ライフ・ゴーズ・オン』2016

​  

監督 ケリー・ライヒャルト

​出演 ローラ・ダーン

ミシェル・ウィリアムズ

リリー・グラッドストーン

クリステン・スチュアート

原題は「Certain Women」.、訳は「ある女たち」。

このほうがずっといいし、映画の余韻も充分に響くタイトルと思いました。

ロンドン映画祭最優秀作品賞の映画です。

3人の女性の3つの人生が描かれます。

弁護士のローラは、会社に騙されたと思い込んでいる顧客につきまとわれ、悩まされている。しっかり対応しようとしても、顧客はローラの話も聞かずにただ頼ってくる。うんざりの日々だ。

ジーナは専業主婦で新居の建築に没頭している。夫のライアンは鈍感で気がきかず、いつもイライラさせられている。近所の知人の庭にある砂岩を建築材料にするためもらいに行くが、知人は夫にしか興味がなさそうだ。

牧場で働いているジェイミーは、馬の世話だけをして冬の間を孤独に過ごしているが、ある日社会人相手の夜学のクラスをのぞいて講師のエリザベスと出会う。夜学の後に夕食の時間を一緒に過ごすうちに、親しい友人を得たように思うジェイミーだったが、エリザベスにはその思いは通じていない。

3つのストーリーとも、アメリカ・モンタナの片田舎の普通の風景がとても美しいです。

その自然の美しさと、女性のそれぞれの人生の美しさがよく呼応しているな、という印象が強い映画です。

3つとも人生でこんな場面はあるよね、というエピソードが綴られており、何か特別なことが起こるわけでもない、スリリングな映画に慣れている人にはつまらないと思われるような、どこにでもあるかもしれないストーリーです。

共通しているのは、人の思いがいかに通じないものか、ということ。

そして、女性であるがゆえの生きづらさの一瞬が描かれていること

弁護士ローラのセリフにそれがまずはっきり出てきて、「私が男だったらと想像すると楽しいわ、きっと誰もが私の言うことをちゃんと聞こうとしてくれるだろうから」「そうだったら私はただ、OKって言うだけで済むのに」と。

男性である顧客に対して、何を言っても通じない感覚。女性だからきっと寄り添ってくれるだろう、優しくしてくれるだろうという思い込みで接してくる顧客への、気持ちの通じなさが歯がゆく、それが人生の生きづらさにまで発展しているという事実です。

次のストーリーのジーナにしても同じです。夫への気持ちの通じなさ、近所の男性への気持ちの通じなさがこれでもかと出てきます。近所の男性は夫とばかり話したがります。

描いているのが女性であるために、こういう背景もあるわけですが、人と人が通じ合うことの難しさを、とてもリアルに見せてくれていると思います。そしてそれが日常なのだと。

3つ目のジェイミー。誰かと繋がりたいという思い、この人と友達になりたいという思いが相手に伝わらず、しかも相手は繋がりたいとは思っていない、その切ないすれ違いのようなコミュニケーションがとてももどかしい。

そもそも「自分と合う誰か」というのは、存在するのだろうか、ということです。

人には誰にも、少なからず相手への推測と思い込みがあり、無理解があり、ごまかしがあり、そして期待があるものです。

それを取り払ってみる努力をするとしたら、どうなるでしょう?

まっさらな自分になるということ。先入観や思い込みや期待や、自分の事情などをなくして相手を見てみようとすること。

そこには、自分と相手とのどんな関係が見えてくるのでしょうか?

どんなに仲の良い友人でも、どんなに”あうん”の呼吸の家族でも、自分と同じ人間はこの世にひとりもいないのです。

人は孤独な存在。それが私たちの根っこの部分です。

誰かと通じ合えないのがデフォルト、ともいえるのではないでしょうか。

「この人だけは私のことをとてもわかってくれる!」 それは本当でしょうか?

「なんでこの人は私のことを理解してくれないんだろう!」 それが普通なのだとしたら?

孤独であることは悲しいことではなく、人生の正解に近いものかもしれません。

だから誰かと繋がって、お互いに慰め合おう、というのは表面上の過ごし方になるのかもしれません。

​ただただ、孤独である人間どうしが出会って、すれ違って、微笑み合って、何かの瞬間には心が通じ合えて、また別れて、というだけのもの、と考えてみてはどうでしょう。

 

けっして、人生には特に意味はない、と言っているのではありません。

何かについて心を乱し、自分の感情や価値観に飲み込まれてしまわなくてもいいのではないか、ということです。

そもそもは交差しないはずの2人が、偶然近づいて、また離れて、の繰り返しが人生ともいえます。

その一瞬一瞬が、あるいは幸福というものなのかもしれません。

繰り返しの人生のひとコマが、淡々と描かれているこの映画。

ひとさじの寂しさはあるのかもしれないけれど、それでもライフ・ゴーズ・オン。人生は続くのです。

すべてが終わるわけではなく、無駄なわけでもなく。。

心に何かを残しながら、積もらせながら、日々をかみしめていくこと。

​通じ合えないと思ったことについて、あなたは何を心に残したらいいと思いますか?

「日常が人生なのだ」というひとつの答えについて、監督の肯定的な描き方を観た人に、一瞬でも安堵があればいいな、と思っています。

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